facebook問題についてのメモ


現在活発に議論されているfaceboookの実名主義問題で、
電脳世界の実名主義に反対する論旨に全面賛成する。

反対論は現代人にはめずらしく理が通ている主張だと思う。

また反対に、多くの方たちからfaceboookの実名主義反対論に対して様々な意見も寄せられている。

その疑問や批判的意見が出されることにも関係するだろうが、現在主張されているfaceboook実名主義反対論の弱点と思われるのは、もう一段深い本質的な視点が欠落していることにあるのではないだろか。

弱点を端的に言えば「世界情報を管理監視・統制している者たちがいるのだ」、ということだ。
あるいは「どの国でも言論や情報を操作(監視しているから操作ができる)してるのだ」ということだ。

一つの国を見ても、政府と警察や諜報関係の治安当局が暗黙のうちに情報を監視管理しているだろう。
ただ国ごとでその露骨度が違うだけ、あるいは管理統制手法の巧妙さが違うだけなのだ。
中国でも言論統制してるが、日本でもマスコミはみんな同じ論旨を言っているように、実は言論統制されているのだろう。

faceboook問題と電脳世界実名主義は、世界情報監視、統制の国際システム作りを目指す者たちが、「うぃき理―楠」の影響力と陰を薄くしようとし、[SNS]映画戦略を進めたり、朝日ジャーナルリズムなど日本のマスコミが「普及宣伝」しているように、さらにエジプトなどの実例で見られるように電脳情報を操作することで国家や政府を倒すことさえできるのだから、その世界情報戦略と情報監視・管理・制御・統制工作を目指しているのだし、それは事実あるのだ。

人々とその情報の監視と統制(行政的な、さらにその裏の見えない手による圧力で黙らせる)の決定的要件が、監視管理対象者の「実名」にあるから、faceboookが実名にこだわるのだし、ソレこそが主眼なのだろう。

このような本質的な問題視点や意識と理論がないと、faceboook問題に対する様々なコメントも議論も、勢い情報機器と操作などの技術的な問題や、法理論(自由や人権や差別、戸籍、プライバシー論などの)や倫理的問題などに終始して、検討問題の対象が広がり、その理論と話が広がり、「結論を出す前に研究と論議を続けましょう」という結論に落ち着くことになるのだろう。


こうして、結局は「faceboook問題は結論が出るまで、あるいは出ないのだから、faceboookをやってみればいい」ということになり、電脳界の実名管理・監視・統制環境が広がり、電脳習慣が根付いていくようになるのだ。

このような人と社会にある論理原理(論理学的騙しの原理)は、為政者が常套手段にしている情報操作手法の原理そのものなのである。

ネット世界の実名主義に反対する主張と論理は、実名主義が生み出す問題や弊害の実像に迫っているだろうが、おおよそが現代知識人、技術者が陥ってる論理学的、論理構造とその社会構造(社会的論理・情報構造と原理・関係のこと、あるいはイデオロギーのこと)に閉じ込められているもので、まさに情報制御され統制されている理論そのもののように思うのだ。

世界情報戦略は、すでに学術的理論(情報)まで制御して統制しているのだと思うのだがどうだろうか。

私たち地球人と人類は、自分たちが自由に発言し表現できる言論情報世界(電脳・ネット世界)を持つことができたのだから、世界支配を目論む大国と、各国を支配する為政者の勝手にさせてはならないだろう。