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現実の資本主義社会はこの歌と歌詞の通り、人は人間として生きていけない。

ヘーゲルは疎外といい自己疎外だといった。

その弟子のマルクスも同様に資本主義はもっとも人間が生きられない社会原理(労働生産原理・生産様式社会)だといった。

それを歌った曲だ。

 

だがそれを黙って受け入れ、それに埋没してはいられない、私達は生きるために戦わなければならない。

 

その戦いの武器は労働者の団結しかない。

これだけしか武器はない。

だからこの武器は必ず勝てる強力な力を持つ。

 
だからこそ資本主義とその資本家《(金や財産を投資する人々)企業家(工場会社を持ち労働者を雇賃金で働かせる人々)たち(階級)》は、自分たちの政党と政権とマスコミ学校教育などの社会システムを使い労働者の分断を常に洗脳宣伝している。
 
今の私達のように、人間関係で疲れ分断させられている。
 
男女(同性)の本能と性愛は、硬く結ばれることを目指す。だがこれも資本家階級と政権社会制度は、大衆音楽などの洗脳も利用して離婚と家族の崩壊を促している。
 
強大な社会システムに逆らうことは大変な困難を要するが、私達人間は本能から愛を求めざるを得ないのだし、友人親友を求めざるを得ないのだし、団結せざるを得ないのだから、人間の本能と本性を信じて、それを求めることはやめてはならない。
 
だから自殺はするな、戦って疲れて殺されない限り。
 
 
マルクスは今でも叫んでいる、「世界の労働者よ団結せよ」と。
 
これを読んだ後、もう一度童子の歌を聴いてほしい。
 
泣くな、涙は拳で拭くものだ。
 
タイトル:たとえば ぼくが死んだら 歌手:森田童子 作詞:森田童子 作曲:森田童子 編曲:千代正行
 
たとえば ぼくが死んだら そっと忘れて欲しい
淋しい時は ぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ
たとえば 眠れぬ夜は 暗い海辺の窓から ぼくの名前を 風にのせて そっと呼んでくれ
たとえば 雨にうたれて 杏子の花が散っている 故郷をすてた ぼくが上着 衿を立てて歩いてる
 
たとえば マッチをすっては 悲しみをもやす
 
この ぼくの 涙もろい 想いは 何だろう
 
たとえば ぼくが死んだら そっと忘れて欲しい
淋しい時は ぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ