男と女の家政学 家事の分担と手伝いということ。

以下は、ある夫婦の相談に応えた内容。

相談事を縮めて言うと、夫が家事を手伝わず朝の通勤に出るときのゴミ捨てさえヤダといって手伝ってくれないという内容。



貴方が言いたいことわかります。

いま私は60大後半ですが、私も同じような問題で妻の方も私のほうも、苦しんだことがありました。そういった実際の経験のなかで学んだことは後に説明するとして、結論的には、

互を誤解しあい責め合わないでほしいということです。


あなた夫婦が互のことを理解できなくなったり、口論や喧嘩のようになる原因の、その奥の原因は夫婦どちらかの人格や責任、不誠実だとかいった問題ではないのです。

(夫や貴方の優しさの問題だとか、相手への思いやり、愛情などなど沢山の内面意識の問題があるのでしょうが、それら多くを話すことはできないので、ここでは「責任」という夫婦各自の内面意識を例にします)

夫婦どちらかの、責任感だとか責任というものの無自覚だとか、の問題でもなく、長時間労働や安月給(賃金)だとか、物価高だとかの社会的問題が原因なのです。

子どもがいれば育児を取り巻く社会的問題、保育園だとか病気病院だとか習い事だとか、時間に追われる忙しさだとか、それらから生まれる不安感(各自の内面の問題)だとか、社会的原因が精神的意識的な心理的な内面の問題にもなっているのです。

ようは夫婦各自の心持ちや考え方の問題といった内面意識でさえ、社会的な問題原因が夫婦生活に影響したり反映したりして起きているのです。

ですから互を責め合っても何の解決にも結び付かないのです。



そのことを理解しなければ互を傷付けあうだけの結果になってしまうでしょう。

とくにあなたの話で心配なのは、旦那さんの精神状態がかなり追い詰められているのではないか?ということです。

一般に会社の人間関係がストレスにならないなどという人は聞いたことありませんし、仕事のプレッシャーやストレス、自己責任論による責任追求だとか(これも数え上げれば沢山あるでしょう。)

そういった職場環境のなかで長時間労働している場合もあるのですから、そう電通女子社員過労自殺問題と同じ構図の会社がおおくあり、ギリギリのところで踏ん張っている方は、多くいるのです。

その実情を書いた遺書を残して自殺をしない限り、それらの実態は隠れたままで、統計上の数さえ不明なままで、そのような実態が在り続けているわけです。(子どもたちのいじめ自殺も同じこと)


そうして精神的に参ってくると、チョットした約束事、「チョッとしたことじゃないの、あなたの責任よ」という、そのわずかな「責任」という二文字だけでも、耐えられない気持ちにさせるのです。

風呂に入っても肌に受ける「温かさ」の刺激がストレスになり、風呂も入れなくなったりもします。

家族と夫婦の「予定」などということも、意識に「予定」を止め置いて決して忘れてはならないという一種の緊張状態になることも、負担になりいやになるのです。


ですから、肉体的にも精神的にもボロボロ(見た目は普通な状態です。男は犬や動物みたいに弱みを見せたくないのです)になっている夫に対して、このような家事を手伝ってもらうこと(問題)も、

夫婦の言い合い、喧嘩にならないように、淡々と話し合うように心がけること、「決まったことよ」などといって精神的に負荷をかけるような念押し、追い詰めにならないようにするべきでしょう。



いまはご主人の側のこととして話しましたが、あなたの職場環境はどうですか。


労働密度(仕事内容の密度が混んでいて、時間に追われている忙し度合いのこと)、人間関係(ギスギスしていませんか、出世競争の過酷さはどうですか{男性の場合は特にこのような要件もストレスや嫌避感を高める要因になる})女同士の陰険な策略ごとや意地悪いハカリゴトなどはどうですか。

それら夫婦のそれぞれの職場環境や仕事内容、労働密度などを話し合い理解し合えるものでしょうか。

いくら愛し合って結婚したからとか、仲がいいからといっても、
むずかしいのではないかと思うのです。

このような問題(社会的対外的問題)が夫婦互への誤解を生む原因になり、やがて互を理解できなくなり、愛が覚め、互が空気のような同居人というような関係に陥っていくようにもなります。

さらにその一方では、夫婦それぞれの職場の仕事では、仕事課題を協力して行う男女の仕事集団で、仕事完遂、成功の悦びを共有するような異性関係が出来たりすると、互を尊敬しあう男女関係が生まれたりもします。

このような話をするのも、そんな男女の尊敬感情も社会的な原因(この例の場合は会社という家庭の外のこと)からおきているのですよ、ということを伝えたいからです。

おおくは安月給である問題が夫婦間問題、家庭問題、出産・育児・教育問題、将来不安問題、マンション、一戸建て住宅、ローン問題等などを生んでいる中心的問題と言えるでしょう。

男女夫婦が互の個人人格の問題が原因かのような錯誤をあらため、喧嘩口調にならないように、さらに本当の喧嘩(DV)にならないようにしましょう。また喧嘩しないでください。


さて、あなたの話で心配事がもう一つあります。それを説明することは、家事という仕事が持つ細々とした性質によって微細に書き長い文章とならざるを得なくなるので、それを避け要点だけのことになります。

それは家事の分担と手伝いと分けて考えることの、大切さについてです。

分担というのは、家事を行う責任を分担するということであり、家事責任者が二人いることになるわけです。

これでは家事が混乱して(例えば食材を買うのは、半分は自分の責任だというので、夫婦で同じ食材を買ってきてしまうなどといった)しまうことになるのです。すべてが万事こういことが起こるわけです。


またこれでは主婦(女の別な顔)であることを半分だけやるということは、お母さんであることや、嫁であることを、妻であること、何よりも女であることを自分で無くしてしまうことにもなります。

さらに半分だけとは言え、こうして主婦でも母でも嫁でも女でもない生き物ということになってしまうことでもある訳です。

ですから、家事は分担してはいけません。

家事主体は女性の権限と責任として、采配権を持って、夫を「家事を手伝う人」にしなければならないのです。

実際の家事の量が夫のほうが多かったとしても、それはあくまで「夫の手伝い」であって家事分担であってはならないのです。

では夫は月給運搬人の役目だけの生き物か、というとそのことも勘違いしてはならないのです。

夫は対外的な、家庭や家族の顔、責任者、大きな買い物をする時の決定権者、家を買うとか、保険加入だとか、教育資金、決済だとかの責任者とするべきなのです。(古い戸籍法の問題も関係しますが)

それは夫の頭脳が妻より劣っていたとしても、家庭の全体の総責任者として一応そのように祭り上げていた方が次のような例のように、合理的であり理に叶っているいのです。

例えば男の子を育てる上でその方がいいでしょう。男の子が「お母さんみたいに強い人になりた〜い」などと言う男・人間に育てたくはないでしょう。

さらに女のを育てる場合のことも考えても、その逆の男らしくサバサバ、ハキハキ、細かいことに気がつかず、子どもの誕生日さえ忘れ、俺について来いと言わんばかりの人間に育てたくはないでしょう。

さらに次のような例ともなりかねません。
男親のそのような分担責任(家庭責任の分担であり、家事のではありません)を取り上げてしまえば、さらにそんな物は最初から無いのだ、としてしまえば、

夫が家庭に居る存在意味を無くならせることになるし、男と父親、夫として考えないし扱わないことも意味することにもなりますし、妻側が夫とも思っていなという意味ともなるのです。

ですから、その相手であらる自身もどのような立ち位置の人なのか不明にさせ、妻でもなくなり、夫婦関係を自ら壊すことにもなるのです。


またそうして男を夫扱いしていないのですから、夫自身は夫でもなく、夫(自分の)の居場所もなくなり、やがて自分を男扱いしてくれる女の所が自分の居場所とな場合も、起こりやすくなります。

妻にそうさせられてしまっていることになるわけです。

つまり男の家庭の分担(対外的責任と「家事」の分担責)責任を不明にすると、あるいは妻の側がそれを無視することは、家庭を崩壊させる結果になるのです。

女自らが家庭をこわしていることになるわけです。

社会教育(マスコミ情報など)や学校教育の問題によって、物事を深く考えられない女性たちが増えていますので、自らが家庭を壊すことをしていても、夫がダメな奴(人格攻撃をする)だからこうなってしまうのだと、さらに崩壊そ進めてしまっている場合が多くなっている訳です。

このような人格的な問題も社会的原因によって生み出されいるのです。


家庭や家事に関わることは日常的な些事な事柄ですから、またそこには男女の心理関係なども絡んであって、説明が難しくなり文章も長くなるのです。またそれを夫婦が話し合っても通じ会いずらい内容をもっているのです。


ご理解いただけたでしょうか。

社会のことや、会社と職場のことも夫婦で話し合ったり理解し合うことも難しく、家庭や家事についても夫婦で話し合い理解し合うことも難しい性質を持っているのだ、ということでもあるのです。

反対に、だからこそ互いが積極的に歩み(求め)合い、愛し合うことが必要になり、日々が二人の結びつき(絆)を強めさせるのか、あるいは希薄にさせてしまうのか、試されているのです。